バラ色ダンディに出演中の玉袋筋太郎さん、芸名の名付け親は誰?その由来は?

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こんばんは。おまじろーです。

今日は金曜日ですね。
本日は毎週月曜日~金曜日の21:00~放送中のワイドショー、バラ色ダンディ(金曜日)に出演中の玉袋 筋太郎さんについて書いていきたいと思います。
皆さんご存じの方もいるかと思いますが、私はこの芸名をみてかなり衝撃を受けました!
なぜこの芸名になったのか、ただただ疑問に思いまして今回記事にしました。
名前の由来や名付け親は誰なのか、その出会いのきっかけは?また、本人はこの芸名をどう思っているのか?など気になることを書いていきますのでよろしければ一緒に確認していきましょう!

それでは!まずはこちらから!

プロフィール

調べによると玉袋さんはお笑い芸人さんだそうですね。
出身地は東京都新宿区西新宿のようです。

本名は赤江 祐一さん 
生年月日 1967年6月22日(56歳)
身長180㎝
お笑いコンビ「浅草キッド」のボケ担当のようですね。

相方は水道橋博士さん:本名:小野正芳さん
生年月日 1962年8月18日(60歳)



浅草キッドは1987年に結成されており
現在は事実上のコンビ解散をしているようです。
師匠はあの有名な大御所ビートたけしさんです!
ここで、師匠がビートたけしさんということは名付け親はビートたけしさんである可能性が出てきましたね!

実際はどうなのでしょうか。確認します。

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芸名の由来

調べによるとやはりこのコミカルな芸名はビートたけしさんがきっかけでした!
このような芸名を考え付くあたりビートたけしさんは天才的ですね!すべてが面白くなるといったところでしょうか!

なぜこのような芸名になったのかは以下に記します。

まず、芸人にとって芸名は芸風の顔となりとても重要なものであると思います。
調べによると、2014年7月9日に「水曜日のダウンタウン」で浅草キッド水道橋博士さんが「ビートたけし本気で弟子を売る気ない説」といった内容で出演された際に「たけし軍団はビートたけしさんが弟子に芸名を与え、師弟関係が結ばれるといったきまりがあります。親が子に名前を付けるように、芸名も同様で師匠から弟子にこの芸名で売れてくれという願いを込めてつけるはずだけど・・・ビートたけしの場合はその場の思い付きで、単なる悪ふざけで、ひとの人生を弄んでいる」といった発言をされていたようです。
深堀していくと芸名は宴会の席で決定したようですね。
現在の「玉袋筋太郎」という芸名に加え、他にも「シロマティ」「蟻の門渡哲也」が候補にあったようです。
この中から宴会の席で選べという状況になり「玉袋筋太郎」に決定したそうですね。

本人はどう思っていたのか?

ご本人はその頃芸で笑わせることが出来なくても、芸名で笑いがとれるのではないか。玉袋だけに、この芸名を大きくし、世間に浸透させていけば、下品など騒ぐ人も少なくなり。偏見もなく、馴染むであろう」と考えたそうです。

確かに!!


ご本人のいう通り世間からすれば偏見のまなざしを間違いなく向けられマイナスなイメージではありますが、逆を言えば注目されているといったことになりますもんね!

要は考え方でしょうか。


ここはおまじろーの考えですが、ビートたけしさんはこの芸名をつけた先弟子たちはどうなっていくのか、どう乗り越えていくのか?試練として与えたという事と

【コミカルな芸名=世間の注目になる=背中】を押すことになるといったことを考えていたのでしょうか?

真相はわかりませんがどちらにせよ「玉袋筋太郎」という芸名を選びここまでまっとうしてきた姿は素晴らしいものがありますね!

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たけし軍団に入るまで

2月24日放送された「北野誠のズバリ」にゲスト出演した玉袋筋太郎さんはこう話されていたそうです。

師匠とは当時の人気深夜番組【ビートたけしのオールナイトニッポン】(ニッポン放送)で出会い

とても衝撃的だったとのこと。当時はツッパリブームでものすごい不良が多くクラスの9割が不良だったそうです。

自分は不良ではない1割だったとのこと。それはたけしさんのオールナイトニッポンを聴いていたおかげだと語ったそうです。周りははやりのツッパリバンドにリーゼントに長らん。


 そんな中玉袋さんは「あの人達は本物の不良じゃねえな、ビートたけしの方が絶対に不良だ、悪いことしている。大人の悪さを知ってるそっちの不良に憧れたんです」と。

当時ビートたけしに弟子入りしたいかたは非常に多くオールナイトニッポンの放送日にはニッポン放送の前に弟子志願者+一度拝見してみたいといった方が1000人クラスで殺到していたようです。

そこでそこに行ってもたけしさんに気付かれないと思った玉袋さんはある行動に出ます。

深夜3時の放送終わりにたけしさんが軍団を集めて四谷の焼き肉屋で打ち上げをしているという話を番組内で話していたのを聞き逃さなかった玉袋さんは仲間とともにその焼き肉屋で待ち伏せするようになったそうです。

そこには出待ちの人は皆無。

「おお、あんちゃんら何やってんだよ。生ビールのんでくか?」と当時高校生だった玉袋さんに毎回声をかけてくれていたそうです。
 玉袋さんは「そこにはいってしまうのは図々しいと思われてしまうから」と毎回ずっと断っていたと。

そんな時にいつもの出待ちをしているところにラッシャー板前さんが「殿が(ビートたけし)がどうしても入ってくださいって言ってますんで来てください。僕が怒られちゃいますんで。」とそういわれて初めてそのお店に入ったそうです。

そこでお座敷の席に高田文雄さん、ビートたけしさんがいて「あんちゃんら飯食ってけ。」とここでたけしさんに顔を覚えてもらえるようになったそうです。

弟子入りは高校3年生で当時は弟子入りしたいけどなかなか言えずにいたとのこと。
夏休みの時点で就職先での内定が決まっておりその頃「この先カタギとして生きていくんだ」とあきらめかけていた時にたけしさんから

「お前高校卒業したらどうすんだ?」と話しを振ってくさり

そこで玉袋さんは「就職して働きます。」と返事を。

するとたけしさんは「そこはよ、3カ月で辞めて俺のところ来ねえか」と。

たけし軍団といえば弟子入りを志願して何度も土下座をしてようやく入れてもらえるものといったイメージでしたが玉袋さんだけはスカウトといった形で軍団入りが決定したそうです。

そして高校卒業後は部屋を借りろと20万円をポンッと渡され曇ってた視界がぶわーっって晴れやかになたと話されています。

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まとめ

・名付け親はビートたけし
・宴会の席で3つの中から芸名を選んだ
・本人は芸名で笑いが取れると思った。
・ビートたけしさんのおっかけをしており、ラジオ番組収録後に打ち上げをしている焼き肉屋で待ち伏せをしていた時声を掛けられた。

いかがでしたでしょうか

今回は玉袋筋太郎さんの芸名の名付け親、その名の由来、師匠であるビートたけしさんとの出会いからたけし軍団に入るまでをまとめてきました。

やはり有名になっていく人は行動をした先でチャンスをつかんで離さないといった本質を持っているのだなと気づかされました!

この記事を読んでいる方も何か一歩進みたいと思うことがあればまずははじめの一歩を踏み出してはいかがでしょうか。

それでは記事をご覧いただきましてありがとうございました!

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